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11〜20座目

九重連山

九重連山

苦渋! くじゅう連山

2023/5/3〜5/4

阿蘇くじゅう国立公園 「長者原ビジターセンター」

 12座目は、九州地方・大分県に位置する九重連山 登山(くじゅうれんざん)に行って来ました。久住山(くじゅうさん)中岳(なかだけ)星生山(ほっしょうざん)硫黄岳(いおうだけ)大船山(たいせんざん)など、その名の通り1700メートル級の連なる山々によって形成される。特に「中岳」は九州本土の最高峰であり、(※九州地方最高峰は「宮之浦岳 みやのうらだけ」である)また「久住山」は日本百名山に選定されている。

荒々しい登山道

 連山と言っても、もちろん山脈ではなく火山郡である。1995年には「硫黄山」で約300年ぶりに噴火があり、隣接する熊本県にも灰が降り注いだ。時を経て、2007年には噴火予報を「警戒レベル1、平常」に引き下げられ、現在も予報警報に変更はない。ミヤマキリシマ(ツツジの一種。九州地方の高山に生息する。)が5月中旬〜6月にかけて咲き誇り、毎年多くの登山者で賑わう。また、牧ノ戸峠登山口から山頂までのピストンコースならば、高低差も少なく日帰り登山が可能で比較的挑戦しやすい山であり、老若男女問わず自然を楽しむことができる。なお積雪時には、九州でも数少ない雪山に変貌し、特に雪山登山の入門としても人気が高い。一年を通して登山者の声が絶えない山である。

九州自然歩道「雨ヶ池」
九州本土最高峰「中岳」
九重連山の中心部 御池(みいけ)

 登ったのはGWの5月。日帰り登山も考えたが、この九重連山には、「法華院温泉山荘(ほっけいんおんせんさんそう)」と言う九州で一番標高の高い温泉を併設した山荘がある。山荘を利用し、1泊2日の行程とする事で、長者原登山口と牧ノ戸峠登山口を結ぶ、九重連山を周遊する登山ルートをゆっくり楽しむ計画とした。

登山録

 東京駅を出発して新幹線で約5時間。福岡県北九州市の小倉駅に着いた。ここから「九重連山(くじゅうれんざん)」登山口の「長者原(ちょうじゃばる)ビジターセンター」までは約2時間のドライブ。小倉といえば「肉うどん」である。「元祖 京家」の「よもぎ肉うどん」で腹ごしらえをして、東九州自動車道を飛ばすと、久しぶりの再開に会話が弾む。やはりGWは混んでいて、思うように車は進まなくなる。ウトウト眠気に襲われているうちに渋滞を超えると、車窓からツンツンと耳が尖った美しい独立峰が遠くにみえた。「由布岳(ゆふだけ)」の双耳峰(そうじほう)である。大分自動車道に入ったようだ。山々の稜線と共に気持ちの良い景色が続く。湯布院ICを降りて「阿蘇くじゅう」方面へ。長者原ビジターセンターに着く頃には午後15:30を過ぎていた。

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 ビジターセンターに駐車すると、各々準備に取り掛かる。目の前には、頭が3つ仲良く並ぶ「三俣山(みまたやま)」が迎えてくれた。今日は、登山口から出発して法華院温泉山荘(ほっけいんおんせんさんそう)まで行かなくてはならない。休憩を考慮しても約2時間半の行程である。焦らず、道に迷わなければ、18時15分頃にはたどり着く。念のため、山荘に一報入れると「昨日の雨で道中ぬかるんでいるはずだから、気をつけるように」と気遣ってくれた。

九州自然歩道

 九州自然歩道は法華院温泉山荘手前の「坊ガツル」まで続く。湿原の先に続く木道を進むと旅の始まりにワクワクしてきた。幅の広い木道がしっかりと整備されていて、カンバンの説明書きによると車椅子利用者も散策できるように配慮されているそうだ。登山道に切り替わる。山道は徐々に5月の新緑と共に高度を上げて行く。このまま三俣山の東側を迂回しながら「雨ヶ池越(あまがいけごえ)」まで約300m程上昇する。もう17時を回ったが、まだまだ日は明るくてホッとした。雨ヶ池は昨晩の雨でぬかるんでいて山荘のアドバイス通り慎重に歩く。 山道は「黒土」と呼ばれる特有の火山灰土で真っ黒だ。この「黒土」は水分を含むと、特に滑るらしい。せっかく登ったがここからは「坊ガツル」まで降っていく。しばらく行くと大きく開けたロケーションの奥に色鮮やかな無数のキャンパーテントが見えた。坊ガツルに着いたようだ。「坊」とは寺院のことで、ここでは法華院温泉山荘を指し、「ツル」は山の湿原など「広場」を指す。山荘はもう目の前である。

雨ヶ池
坊ガツル
法華院温泉山荘

 「法華院温泉山荘」。始まりは「九重山法華院白水寺(くじゅうざんほっけいんはくすいじ)」と呼ばれる修験道場(しゅげんどうじょう)を建立したことに始まる。当時、九重連山は修験道として栄えていたが時代と共に信仰の山から登山の山に変化する。道場だった施設を1882年より山宿として再開した。構造は切妻屋根の木造3階建。傾斜地に建てられていて、建物のアプローチは1階(※中間階となる)。2階と地下1階へ階段でつながる。山荘としては珍しく、温泉が併設していて、まるで温泉旅館へ旅行に来たような気分にさせてもらった。受付を済ませて3階の大部屋に移動するが、今日は到着が遅れたせいでまとまったスペースはすでに無く、方々に散って寝床を確保した。気を取り直して温泉に入り缶ビールで乾杯すると、まさに「極楽」である。夕飯の後、明日の登山ルートについて確認した。山荘のスタッフに相談すると「中岳(なかだけ)」と「白口岳(しらくちだけ)」の間を駆け上がるルートは崩落の可能性があり、危険とのことだ。三俣山との間を行く「諏蛾守越(すがもりごえ)」から「久住分れ(くじゅうわかれ)」に辿り着くルートに決めた。朝食のお弁当を受け取ると明日に備えて就寝した。

 

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 目が覚めてトイレに行くと窓からザーザーと聞こえたので雨かと思ったら川の流れる音だった。天気はあいにくの曇り空である。支度を済ませると談話室に集まってコーヒーとアンパンを食べた。今日は予定通り「中岳」・「久住山」に登頂後、「牧ノ戸峠(まきのととうげ)」登山口へ下山する。山荘から「久住分れ」までは約2時間30分の予定。山荘の裏には「すがもりコース」と案内板があり、ここから登山道に入る。右手には防砂ダム。整備された歩道が続くが次第に山道に変わる。20㎝ぐらいの岩がゴロゴロとごろつきだした。この辺りから、登山道の目印が岩に施された「黄色のペイントマーク」に変わる。三俣山と中岳の中腹を巻き込みながら上昇していく。もう200mほど登っただろうか。振り返ると、坊ガツルがだいぶ遠のいた。

 岩場の先を登り切ると、高い山に囲まれた盆地のような光景が広がったので驚いた。辺りいちめん岩や砂利が散々とする「ザレ場」である。どこに進めば良いかペイントマークを探す。見上げると三俣山の高い稜線を登山者が歩いている。「諏蛾守分岐(すがもりぶんき)」を通過して、「北千里ヶ浜(きたせんりがはま)」に入る。前方には、現在山頂付近の立入が禁止の「硫黄岳(いおうだけ)」が立つ。進むと硫黄の匂いが一段と強くなる。地図には喘息への注意喚起が記載されていた。それにしても誰かのイタズラか、はたまた「修験道」の名残りか。石を積み重ねた「仏塔」がそこかしこにあって、賽の河原(さいのかわら)をイメージさせる不思議な場所だった。さらに進み、岩場を駆け上がると「久住分れ」に到着した。

諏蛾守分岐

 「久住分れ」は牧ノ戸峠登山口ルートとの合流地点である。ちょうど谷間になっていて、風が強く通り抜けると寒い。奥には、地上の久住高原が垣間見えた。いよいよ、九重連山の核心部へ向かう。時計回りに「空池(からいけ)」「御池「みいけ)」「中岳」と周り、最後に「久住山」へ。10分ほど登り空池へ進むと、左手には「ザレ場」だった北千里ヶ浜を覗き込むように景色が広がり、これまで登ってきた軌跡が確認できた。「硫黄岳」の山頂からは噴煙が上る。空池を過ぎで御池を右に回り、「天狗ヶ城(てんぐがじょう)」との分かれ道を進む。強い風に煽られて、帽子が吹き飛びそうだ。最後の岩場を登ると「中岳」山頂へ到着した。

 山頂部は特に岩が重なり狭く、登山者達が写真を撮り合い賑わっていた。1791mは九州本土最高峰である。手前には「稲星山(いなぼしやま)」。とりわけ登山者で賑わっているのは「久住山」。硫黄岳や、三俣山、坊ガツルの奥には「由布岳」が確認できた。南西方向、曇り空の向こうに日本百名山の「阿蘇山(あそざん)」、「祖母山(そぼさん)」のシルエット。九重連山はどこを眺めても気持ちが良い。「写真をよろしいですか」と声をかけてきたのは60代の夫婦。お互い関東からの遠征と分かり話が弾む。我々とは反対の「久住高原(くじゅうこうげん)」側にある「南登山口(みなみとざんぐち)」から来たようで、「久住山に登頂したら、先に降りてます。道中気をつけて」と言い残すと行ってしまった。

九重と久住

 なぜ、九重連山(くじゅうれんざん)の本峰である久住山(くじゅうさん)は前者と後者で字が違うのだろうか。九重連山(くじゅうれんざん)は、大分県玖珠郡九重町(おおいたけんくすぐんここのえまち)、大分県竹田市久住町(おおいたけんたけたしくじゅうまち)にまたがり位置しているためである。2つの町の由来はその昔、九重山白水寺(くじゅうざんはくすいじ)と久住山猪鹿寺(くじゅうざんいがらじ)の2つの寺院が開かれたことに遡るとされている。昭和28年「阿蘇国立公園」に九重一帯が追加されることに決まった。その際にぜひ「くじゅう」の名前を追加してほしいとの声が上がったものの、「九重」と「久住」。どちらか甲乙つけられるはずもなく最後まで議論され、結局「阿蘇くじゅう国立公園」に決まったそうだ。※ちなみに、国土地理院の火山土地条件図では「くじゅう連山」と、ひらがな表記になっている。

6月 ミヤマキリシマが咲き誇る九重連山

 山荘を出発してから約3時間半が過ぎ、時計は9時半を回っている。休憩を兼ねて朝ごはんを取ることにした。「中岳」山頂を後にして「東千里ヶ浜(ひがしせんりがはま)」に下り、少し登れば「池ノ避難小屋(いけのひなんごや)」が見えてきた。小屋はコンクリートの屋根・柱のみの構造体で、壁には石が敷き詰められ、窓はなく開口部は出入口のみである。中はベニア板で作られたベンチがコの字型に配置してあるだけの設え。それでも風をしのぎながら、休むことができるのはありがたい。お湯を沸かしている間に目が暗闇に慣れてくる。入り口から外を眺めているとモヤが掛かって白くなったり、風で吹き飛ばされて澄んだり、山の変化を眺めているのは楽しい。小屋の中で吐く息は白く、5月の山はまだまだ暖かいとは言い難い。山荘から受けとったお弁当を食べて、小一時間ほど休憩した。

池ノ小屋からの景色

白い九重連山

 12月の下旬頃、厳冬期の九重連山は霧氷(むひょう)によって白銀の世界と変貌する。雪山初心者でも登りやすく、牧ノ戸峠からアプローチすることで少ない標高差で、中岳・久住山山頂を含む登山を楽しむことができる。無雪期には美しい水面の「御池(みいけ)」だが、タイミングが良ければ凍り付いた池をぜひ横切ってみたいものである。

厳冬期の九重連山

 最後は「久住山」へ向かう。小屋から山道を登り、石碑を通り過ぎて斜面の高い位置から身を乗り出すと稲星山、久住山は手が届きそうなくらい近い。御池までは下ることになるが、それからは山頂まで続く「ガレ場」をひたすら登るのみである。「浮石(うきいし)」で踏み外さないように、ペイントマークに添いながら斜面を慎重に登る。尾根状の先が山頂である。ときより雲が山肌を駆け上がってきて行く手を阻む。「久住山」に到着した。山頂には、「久住山1786m」とカンバンに記載があり「百名山」の表記はなかった。久住高原が一望できる、今日1番の景色である。しばらく山頂の余韻に浸り、久住山を後にした。

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 ガレ場を下り、「久住分かれ」を過ぎて少し歩くと、モヤの向こうに久住避難小屋か見えてきた。山頂に向かう登山者達が多く、九重連山の賑わいはこれからがピークのようだ。我々の登山の旅も終盤に差し掛かっている。「星生山(ほっしょうざん)」を過ぎて、「扇ヶ鼻(おうぎがはな)」分岐を「沓掛山(くつかけやま)」へ進む。振り返ると、次第に「久住山」が星生山に隠れて見えなくなる。ここから見る久住山はピラミッドのように角錐の形をなしていて特にプロポーションが良い。久住山を見納めた。

星生山を通り過ぎる

 順調に下り、細長い岩場と木の梯子を登ると沓掛山の展望台にたどり着く。九重連山の主峰達にも劣らぬ良い景色だ。歩いてきた軌跡を目で追いながら確かめた。木製の階段をずいぶん降ると、コンクリートの舗装路が牧ノ戸峠登山口まで続いている。無事下山したようだ。ホッと一息つく。旅の無事をお互い讃え合うと、ビジターセンターを後にして、湯布院駅近くの「由布岳温泉」で汗を流した。帰りの東九州自動車道は空いていて、ドライブはあっという間だった。

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