剱・立山連峰に登る
剱岳・立山登山の旅。13・14座目は北陸地方、富山県に位置する剱岳・立山に行ってきました。我が国初の国立公園の一つでもある「中部山岳公園」に指定され、北アルプス北部「剱・立山連峰」を代表する2つの山は、登山をする者にとって一度は登ってみたい「憧れの山」である。
剱岳・立山登山の旅。13・14座目は北陸地方、富山県に位置する剱岳・立山に行ってきました。我が国初の国立公園の一つでもある「中部山岳公園」に指定され、北アルプス北部「剱・立山連峰」を代表する2つの山は、登山をする者にとって一度は登ってみたい「憧れの山」である。
特徴・気候

特徴として北アルプス北部に位置することから日本海に近く、季節風に運ばれた豊富な雨が多量の雪となって降り注ぐ世界でも有数の豪雪地帯である。雨と雪は山々を削りながら、深い谷を刻む事で急峻(きゅうしゅん)な「雪と岩の殿堂」と呼ばれる剱岳を生み出した。また、立山連峰は日本で一番北に位置する3000m級の山岳であることから、気温が低く夏でも雪が解けにくい。長い時間をかけて雪は押し固められ、日本ではまれにみる貴重な「氷河(ひょうが)」へと変化した。御前沢雪渓(ごぜんざわせっけい)」や倉蔵助雪渓(くらのすけせっけい)など、今も「雪渓」の地下奥深く厚さ20m以上の氷の塊が、年数メートルずつ移動し続けているという。ちなみに日本で発見されている7つの氷河は、全て北アルプスに現存する。また、立山では氷河によって侵食され、スプーンでえぐりとったような谷「圏谷(けんこく)」(ドイツ語=カール)を見ることができる。
特徴として北アルプス北部に位置することから日本海に近く、季節風に運ばれた豊富な雨が多量の雪となって降り注ぐ世界でも有数の豪雪地帯である。雨と雪は山々を削りながら、深い谷を刻む事で急峻(きゅうしゅん)な「雪と岩の殿堂」と呼ばれる剱岳を生み出した。また、立山連峰は日本で一番北に位置する3000m級の山岳であることから、気温が低く夏でも雪が解けにくい。長い時間をかけて雪は押し固められ、日本ではまれにみる貴重な「氷河(ひょうが)」へと変化した。御前沢雪渓(ごぜんざわせっけい)」や倉蔵助雪渓(くらのすけせっけい)など、今も「雪渓」の地下奥深く厚さ20m以上の氷の塊が、年数メートルずつ移動し続けているという。ちなみに日本で発見されている7つの氷河は、全て北アルプスに現存する。また、立山では氷河によって侵食され、スプーンでえぐりとったような谷「圏谷(けんこく)」(ドイツ語=カール)を見ることができる。
死の山 剱岳

立山連峰の世界が描写されている
富士山、白山、と並び「日本三霊山」の一つとされる立山は、その昔、立山信仰によって修験者たちは山頂の「雄山神社」へと登拝が盛んに行われていた。当時の信仰では立山を「極楽浄土」に、剱岳を「地獄」に見立て、特に剱岳は、登る事が許されない「死の山」として恐れ崇められてきた。明治の時代においては、元々過酷な環境とその険しい姿から剱岳山頂は物理的に登ることが難しく、それに加えて「登ってはいけない」という当時の立山信仰心も拍車がかかることで、長らく前人未踏の「未開の地」となっていた。現在、日本全土を示す国土地理院地形図の「最後の空白地点」だったと言われている。今ではもちろん登山道は整備され、毎年多くの登山者たちが雄山神社(おやまじんじゃ)に参拝に訪れると、剱岳登山の安全を祈願し剱岳山頂を目指す。

立山連峰の世界が描写されている
富士山、白山、と並び「日本三霊山」の一つとされる立山は、その昔、立山信仰によって修験者たちは山頂の「雄山神社」へと登拝が盛んに行われていた。当時の信仰では立山を「極楽浄土」に、剱岳を「地獄」に見立て、特に剱岳は、登る事が許されない「死の山」として恐れ崇められてきた。明治の時代においては、元々過酷な環境とその険しい姿から剱岳山頂は物理的に登ることが難しく、それに加えて「登ってはいけない」という当時の立山信仰心も拍車がかかることで、長らく前人未踏の「未開の地」となっていた。現在、日本全土を示す国土地理院地形図の「最後の空白地点」だったと言われている。今ではもちろん登山道は整備され、毎年多くの登山者たちが雄山神社(おやまじんじゃ)に参拝に訪れると、剱岳登山の安全を祈願し剱岳山頂を目指す。
国内最難所の登山道
剱岳は冬の訪れが早く、また春になっても多くの雪が残り、天気が崩れれば厳冬期の山へと戻る。一般登山者の登山適期は7月〜10月だが、特に9月の下旬からは場合によっては登山道が凍結すると滑落の危険度が増し、剱岳山頂へ登る事ができない。※山荘・山小屋は10月の第一週目が最終日となることが多い。また剱岳はその特異な形状から、幾つもの鎖場が連続する。時期や自身のスケジュール、天候、難易度のある登山道。すべての条件をクリアして剱岳山頂に登る事が出来るのだ。一般登山者が立ち入れる「整備された登山道」の中でも、百名山の「幌尻岳」と並び剱岳は「国内最難所」と言われている。今旅で登ったのは9月中旬。立山連峰が最盛期を迎える3連休を利用して行程を組み、臨む事とした。
剱岳は冬の訪れが早く、また春になっても多くの雪が残り、天気が崩れれば厳冬期の山へと戻る。一般登山者の登山適期は7月〜10月だが、特に9月の下旬からは場合によっては登山道が凍結すると滑落の危険度が増し、剱岳山頂へ登る事ができない。※山荘・山小屋は10月の第一週目が最終日となることが多い。また剱岳はその特異な形状から、幾つもの鎖場が連続する。時期や自身のスケジュール、天候、難易度のある登山道。すべての条件をクリアして剱岳山頂に登る事が出来るのだ。一般登山者が立ち入れる「整備された登山道」の中でも、百名山の「幌尻岳」と並び剱岳は「国内最難所」と言われている。今旅で登ったのは9月中旬。立山連峰が最盛期を迎える3連休を利用して行程を組み、臨む事とした。
旅のチェックポイント
剱岳へのアクセスは主に2つ。立山駅から黒部立山アルペンルートを使い、室堂ターミナルへアクセスして室堂平から「別山尾根ルート」を登る。剱御前小屋(つるぎごぜんごや)や剱澤小屋(つるぎさわごや)、剣山荘(けんざんそう)など、複数の山荘が点在する比較的計画が立てやすいルートと言える。もう一つのアクセスは、富山県の上市町にある馬場島(ばんばじま)から始まる「早月尾根ルート」を登り剱岳を目指す。北アルプス3大急登と言われ、標高差2200mを一気に詰める早月尾根ルートは難易度がやや高い。また別山尾根ルートの場合、剱岳のみの登山であれば1泊2日の行程も可能だが、2泊3日の余裕ある計画が望ましい。関東圏であれば始発に乗る事で富山県側からアルペンルートを利用し、午前中に室堂ターミナルへアクセスが可能。今旅は天気を考慮して3日目に立山へ登ったが、1日目に立山へ登り、神社へ参拝して登山の安全祈願をするのが良いだろう。最終日は時間に余裕があれば富山市内の路面電車で移動して銭湯に入ることもできる。※雄山神社へ参拝の際は、事前に石ころにお願い事を書いて持ち込むと良い。
【室堂へのアクセス】
・アルペンルートはマイカー規制となっていて自家用車、レンタカーでのアクセスは不可。また、事前に切符を予約購入が可能。繁盛期の混み具合によってはケーブルカーやバスに乗り込めず、登山計画に影響がでる可能性あるので注意が必要である。
・富山駅から室堂までは直通バスも運行しているが、時期が限られている。
剱岳へのアクセスは主に2つ。立山駅から黒部立山アルペンルートを使い、室堂ターミナルへアクセスして室堂平から「別山尾根ルート」を登る。剱御前小屋(つるぎごぜんごや)や剱澤小屋(つるぎさわごや)、剣山荘(けんざんそう)など、複数の山荘が点在する比較的計画が立てやすいルートと言える。もう一つのアクセスは、富山県の上市町にある馬場島(ばんばじま)から始まる「早月尾根ルート」を登り剱岳を目指す。北アルプス3大急登と言われ、標高差2200mを一気に詰める早月尾根ルートは難易度がやや高い。また別山尾根ルートの場合、剱岳のみの登山であれば1泊2日の行程も可能だが、2泊3日の余裕ある計画が望ましい。関東圏であれば始発に乗る事で富山県側からアルペンルートを利用し、午前中に室堂ターミナルへアクセスが可能。今旅は天気を考慮して3日目に立山へ登ったが、1日目に立山へ登り、神社へ参拝して登山の安全祈願をするのが良いだろう。最終日は時間に余裕があれば富山市内の路面電車で移動して銭湯に入ることもできる。※雄山神社へ参拝の際は、事前に石ころにお願い事を書いて持ち込むと良い。
【室堂へのアクセス】
・アルペンルートはマイカー規制となっていて自家用車、レンタカーでのアクセスは不可。また、事前に切符を予約購入が可能。繁盛期の混み具合によってはケーブルカーやバスに乗り込めず、登山計画に影響がでる可能性あるので注意が必要である。
・富山駅から室堂までは直通バスも運行しているが、時期が限られている。
登山録
1st day


始発の東京駅を出発した新幹線は、あっという間にJR富山駅に着いた。富山地方鉄道に乗り換える時間は短く、駅ビルのショーウインドーを急足で抜ける。時間は午前9時を廻る頃だ。地方鉄道富山駅には、臨時特急を待つ登山者達がズラリと並んでいて、高まる気持ちを抑えてキップを購入した。二両編成の列車は走り出すとゴワンゴワンと勢いよく揺れるので、乗り心地は良いとは言えないが、虫の貼り付いた車窓から田園風景が広がる。目的地の剱・立山連峰(つるぎ・たてやまれんぽう)へと、列車の旅が続く。「剱岳(つるぎたけ)に登ろう。」と旅が決まった時は「ついに来たか」と拳に力が入った。国内の整備された登山道の中で最難所とされる剱岳は、ピークハントで百名山踏破を目指す我々にとって、ゲームで例えるなら「ラスボス」的存在と言える。難易度の高い鎖場の登山道や、残念ながら相次ぐ滑落事故も多い。調べれば調べるほど「一体どんな山なのだろう」と想像が膨らんでは、悶々とする日々を過ごしていた。

始発の東京駅を出発した新幹線は、あっという間にJR富山駅に着いた。富山地方鉄道に乗り換える時間は短く、駅ビルのショーウインドーを急足で抜ける。時間は午前9時を廻る頃だ。地方鉄道富山駅には、臨時特急を待つ登山者達がズラリと並んでいて、高まる気持ちを抑えてキップを購入した。二両編成の列車は走り出すとゴワンゴワンと勢いよく揺れるので、乗り心地は良いとは言えないが、虫の貼り付いた車窓から田園風景が広がる。目的地の剱・立山連峰(つるぎ・たてやまれんぽう)へと、列車の旅が続く。「剱岳(つるぎたけ)に登ろう。」と旅が決まった時は「ついに来たか」と拳に力が入った。国内の整備された登山道の中で最難所とされる剱岳は、ピークハントで百名山踏破を目指す我々にとって、ゲームで例えるなら「ラスボス」的存在と言える。難易度の高い鎖場の登山道や、残念ながら相次ぐ滑落事故も多い。調べれば調べるほど「一体どんな山なのだろう」と想像が膨らんでは、悶々とする日々を過ごしていた。



列車は徐々に高度を上げて進み、景色は山中へと変わる。途中、迫力満点の鉄橋で川を通過すると地方鉄道立山駅についた。ここからはケーブルカーに乗り換え、美女平駅(びじょだいらえき)に着いた後、さらにバスを乗り継ぐ。この「黒部・立山アルペンルート」は富山県の立山駅から長野県の扇沢(おうぎさわ)駅を結び、標高3000m級の北アルプスを貫く世界でも有数の山岳観光ルートだ。剱・立山連峰の玄関口である室堂(むろどう)にたどり着いた。
列車は徐々に高度を上げて進み、景色は山中へと変わる。途中、迫力満点の鉄橋で川を通過すると地方鉄道立山駅についた。ここからはケーブルカーに乗り換え、美女平駅(びじょだいらえき)に着いた後、さらにバスを乗り継ぐ。この「黒部・立山アルペンルート」は富山県の立山駅から長野県の扇沢(おうぎさわ)駅を結び、標高3000m級の北アルプスを貫く世界でも有数の山岳観光ルートだ。剱・立山連峰の玄関口である室堂(むろどう)にたどり着いた。



1日目の行程
東京駅→富山駅→アルペンルート→室堂ターミナル
室堂平(登山口)→別山乗越→剱澤小屋


室堂ターミナルの簡易脱衣所で、支度をすませ登山口へ上がる。標高2450m 9月の室堂平(むろどうだいら)は、観光客やハイカーが集い賑やかだ。都会の喧騒から離れ、立山の自然や景色を楽しんでいる。例年だと紅葉の最盛期を迎えるが、厳しい高山環境で際立つ草紅葉(くさもみじ)は色付き始め程度。今年は、続く残暑により山の季節も2週間ほどずれ込んでいる。今日は、室堂平から別山乗越(べっさんのっこし)を超えて剱澤小屋(つるぎさわごや)まで行かなくてはならない。約4時間の行程だが、既に時間は正午を廻っている。天気は、あいにく午後からにわか雨、場合によっては雷雨の予報。なるべく早く小屋に辿り着きたい。

室堂ターミナルの簡易脱衣所で、支度をすませ登山口へ上がる。標高2450m 9月の室堂平(むろどうだいら)は、観光客やハイカーが集い賑やかだ。都会の喧騒から離れ、立山の自然や景色を楽しんでいる。例年だと紅葉の最盛期を迎えるが、厳しい高山環境で際立つ草紅葉(くさもみじ)は色付き始め程度。今年は、続く残暑により山の季節も2週間ほどずれ込んでいる。今日は、室堂平から別山乗越(べっさんのっこし)を超えて剱澤小屋(つるぎさわごや)まで行かなくてはならない。約4時間の行程だが、既に時間は正午を廻っている。天気は、あいにく午後からにわか雨、場合によっては雷雨の予報。なるべく早く小屋に辿り着きたい。





整備された石畳みの道を進む。ミクリガ池を左回りにエンマ台から地獄谷を望むと、辺りは目に染みるほどの硫黄が漂っていて呼吸をするとむせ返る。雷鳥平(らいちょうだいら)に入り、石段の先には孤を描く雷鳥沢ヒュッテの屋根やキャンプ場の色鮮やかなテントを覗きながら、気持ちの良いハイキングコースが続く。川にかかる橋を渡った所で、ハイカー達は徐々に居なくなると、本格的に登山道へ切り変わる。草本植物(そうほんしょくぶつ)に覆われた登山道は浮き石が多く、徐々に高度を上げて登りがキツくなる。スゥーっと心地よい秋風が体を吹き抜けて、一息ついた。振り返ると上空に満ちた雨雲はもうそこまで来ていて、今にも天気はくずれそうだった。別山乗越にたどり着いた頃、本降りに耐えきれず剱御膳小屋(つるぎごぜんごや)へ逃げ込んだ。

整備された石畳みの道を進む。ミクリガ池を左回りにエンマ台から地獄谷を望むと、辺りは目に染みるほどの硫黄が漂っていて呼吸をするとむせ返る。雷鳥平(らいちょうだいら)に入り、石段の先には孤を描く雷鳥沢ヒュッテの屋根やキャンプ場の色鮮やかなテントを覗きながら、気持ちの良いハイキングコースが続く。川にかかる橋を渡った所で、ハイカー達は徐々に居なくなると、本格的に登山道へ切り変わる。草本植物(そうほんしょくぶつ)に覆われた登山道は浮き石が多く、徐々に高度を上げて登りがキツくなる。スゥーっと心地よい秋風が体を吹き抜けて、一息ついた。振り返ると上空に満ちた雨雲はもうそこまで来ていて、今にも天気はくずれそうだった。別山乗越にたどり着いた頃、本降りに耐えきれず剱御膳小屋(つるぎごぜんごや)へ逃げ込んだ。











運よく小屋に避難できたのはいいが、雨で気温がグッと下がると不安な気持ちになる。こんな時は暖かいコーヒーが美味い。雷雨になる前に、このまま雨の登山道を進むべきか悩んだが、2杯目のココアを呑み終える頃に雨は止んだ。霧がかった登山道を、ここからは慎重に降っていく。別山乗越から剱澤小屋までは標高差約300m、約1時間の行程だ。辺りは山々に囲われていてカール状の剱澤は、曲線を描きながら下へ下へと広がっていく。しばらく行くと色鮮やかなテントが現れて剱澤キャンプ場に着いたようだ。ホッと一息つく。水場で補給した後、救護小屋の分岐を右手に通過して目的地である剱澤小屋にたどり着いた。

運よく小屋に避難できたのはいいが、雨で気温がグッと下がると不安な気持ちになる。こんな時は暖かいコーヒーが美味い。雷雨になる前に、このまま雨の登山道を進むべきか悩んだが、2杯目のココアを呑み終える頃に雨は止んだ。霧がかった登山道を、ここからは慎重に降っていく。別山乗越から剱澤小屋までは標高差約300m、約1時間の行程だ。辺りは山々に囲われていてカール状の剱澤は、曲線を描きながら下へ下へと広がっていく。しばらく行くと色鮮やかなテントが現れて剱澤キャンプ場に着いたようだ。ホッと一息つく。水場で補給した後、救護小屋の分岐を右手に通過して目的地である剱澤小屋にたどり着いた。





剱澤小屋は平屋建て、こじんまりとした大正時代創業の歴史ある山小屋だ。登山者にはうれしい暖かいシャワーを浴びて、10人1部屋の蚕棚(かいこだな)でくつろいだ。止んだはずの雨は、いよいよ激しさを増すばかりで、明日の登山に影響が無いか心配だ。表広場から初対面するはずだった剱岳の姿は、残念ながら明日に持ち越しになってしまった。親指のテーピングを外す鈴木さんに調子を尋ねると「痛むが問題ない」と指をグイッと動かしてみせる。一カ月前に骨折した足の親指はまだ腫れていて、中止もやむを得ないところを、痛み止めで抑えての参加には感謝したい。ロキソニンの量からみて、相当痛むのだろう。明日は剱岳へ上る予定だ。今旅の本番といってもいい。夕飯を頂くと、明日に備えて早めに就寝した。

剱澤小屋は平屋建て、こじんまりとした大正時代創業の歴史ある山小屋だ。登山者にはうれしい暖かいシャワーを浴びて、10人1部屋の蚕棚(かいこだな)でくつろいだ。止んだはずの雨は、いよいよ激しさを増すばかりで、明日の登山に影響が無いか心配だ。表広場から初対面するはずだった剱岳の姿は、残念ながら明日に持ち越しになってしまった。親指のテーピングを外す鈴木さんに調子を尋ねると「痛むが問題ない」と指をグイッと動かしてみせる。一カ月前に骨折した足の親指はまだ腫れていて、中止もやむを得ないところを、痛み止めで抑えての参加には感謝したい。ロキソニンの量からみて、相当痛むのだろう。明日は剱岳へ上る予定だ。今旅の本番といってもいい。夕飯を頂くと、明日に備えて早めに就寝した。






2nd day
2日目の行程
剱澤小屋→剣山荘(登山口)→剱岳(一服剱・前剱・本峰)→剣山荘

目が覚めると雨は止んでいた。肝心な剱岳を一目見たくて、上着を着込んで表に出る。剱岳は夜明け前のシルエットに、深夜出発した登山者達のライトが光り、列をなしていて不思議な姿だった。どうやら遅れをとったようだ。気持ちが焦る。こちらも負けじと準備に取り掛かった。お弁当を受け取り剱澤小屋を後にすると、ついに剱岳と対面することができた。険しく急峻(きゅうしゅん)な姿は、とても登山道が整備されているとは思えない。剱岳は3つのピーク【一服剱(いっぷくつるぎ)2616m・前剱(まえつるぎ※ぜんけんとも呼ばれる)2813m・本峰2999m】の山塊であるため、山頂まで登りと降りが幾度となく連続する。登山口である剣山荘(けんざんそう)は標高2475m。今日は524mの標高差を、6時間かけ急な岩場や鎖場を超えて、尾根づたいに剱岳を踏破する。

目が覚めると雨は止んでいた。肝心な剱岳を一目見たくて、上着を着込んで表に出る。剱岳は夜明け前のシルエットに、深夜出発した登山者達のライトが光り、列をなしていて不思議な姿だった。どうやら遅れをとったようだ。気持ちが焦る。こちらも負けじと準備に取り掛かった。お弁当を受け取り剱澤小屋を後にすると、ついに剱岳と対面することができた。険しく急峻(きゅうしゅん)な姿は、とても登山道が整備されているとは思えない。剱岳は3つのピーク【一服剱(いっぷくつるぎ)2616m・前剱(まえつるぎ※ぜんけんとも呼ばれる)2813m・本峰2999m】の山塊であるため、山頂まで登りと降りが幾度となく連続する。登山口である剣山荘(けんざんそう)は標高2475m。今日は524mの標高差を、6時間かけ急な岩場や鎖場を超えて、尾根づたいに剱岳を踏破する。



午前6時頃、剣山荘に着いてアタックザックに切り替える。ヘルメットを装着して気合を入れると、裏手から始まる登山口を進む。緩やかだった登山道は徐々に岩場に変わっていく。朝日が眩しくて「一番目鎖場」と書かれたステンレス製のプレートが鈍く輝いていた。この「別山尾根(べっさんおね)ルート」には往復で13番の鎖場が登山者達の行く手を阻(はば)む。ゴム手袋をギュッと引っ張り、クサリを握りしめて感触を確かめた。三点支持を意識して駆け上る。その時、不注意でザックからガスバーナーが落下してしまった。登山者へ衝突こそなかったものの、一歩間違えば大事故を招きかねない。剱岳は岩稜(がんりょう)の山。落石を起こさないよう注意が必要だ。ヘルメットは落石から身を守る。荷物を落とすなんてもってのほかだ。気を引き締めて登山道を進むと、2番目の鎖場を過ぎて一服剱のピークについた。目の前には「前剱」が立ちはだかる。あせらず一服のち先に進む。

午前6時頃、剣山荘に着いてアタックザックに切り替える。ヘルメットを装着して気合を入れると、裏手から始まる登山口を進む。緩やかだった登山道は徐々に岩場に変わっていく。朝日が眩しくて「一番目鎖場」と書かれたステンレス製のプレートが鈍く輝いていた。この「別山尾根(べっさんおね)ルート」には往復で13番の鎖場が登山者達の行く手を阻(はば)む。ゴム手袋をギュッと引っ張り、クサリを握りしめて感触を確かめた。三点支持を意識して駆け上る。その時、不注意でザックからガスバーナーが落下してしまった。登山者へ衝突こそなかったものの、一歩間違えば大事故を招きかねない。剱岳は岩稜(がんりょう)の山。落石を起こさないよう注意が必要だ。ヘルメットは落石から身を守る。荷物を落とすなんてもってのほかだ。気を引き締めて登山道を進むと、2番目の鎖場を過ぎて一服剱のピークについた。目の前には「前剱」が立ちはだかる。あせらず一服のち先に進む。






一服剱のピークと、前剱のピークを挟んだ鞍部(あんぶ)の「武蔵(たけぞう)のコル」まで降ると、ここから前剱に向かってまた登る。不安定なガレ場だ。今にも崩れ落ちそうな大きな岩を、左脇の溝に沿ってクサリが奥へと導いている。3番目の鎖場「前剱大岩」だ。滑りやすいので注意して登る。息付く間もなく4番目の鎖場・岩場の連続である。クサリもすごいが、岩場の上下運動は標高差も相まってすぐに息が切れる。やれやれだ。焦らずに「お先にどうぞ」とマイペースで息を整え、道をゆずる。途中「今日は1日天気みたいですよ」と登山者に声を掛けて頂いた。この方とは歩調が合うようで、途中、数回にわたり道をゆずりあった。見上げると岩場のピークに、人々が集まっている。前剱に着いたようだ。

一服剱のピークと、前剱のピークを挟んだ鞍部(あんぶ)の「武蔵(たけぞう)のコル」まで降ると、ここから前剱に向かってまた登る。不安定なガレ場だ。今にも崩れ落ちそうな大きな岩を、左脇の溝に沿ってクサリが奥へと導いている。3番目の鎖場「前剱大岩」だ。滑りやすいので注意して登る。息付く間もなく4番目の鎖場・岩場の連続である。クサリもすごいが、岩場の上下運動は標高差も相まってすぐに息が切れる。やれやれだ。焦らずに「お先にどうぞ」とマイペースで息を整え、道をゆずる。途中「今日は1日天気みたいですよ」と登山者に声を掛けて頂いた。この方とは歩調が合うようで、途中、数回にわたり道をゆずりあった。見上げると岩場のピークに、人々が集まっている。前剱に着いたようだ。


前剱山頂はそのまま尾根づたいに登山道が続き、稜線の先には「本峰」の姿。先を急ぐ登山者も多く、通りをふさがないように手頃な岩に腰掛けて一息ついた。東側には剱澤雪渓(つるぎさわせっけい)が伸びていて、奥には後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)の山々が構える。中でもひときわ目立つのが、百名山の五竜岳(ごりゅうだけ)や双耳峰(そうじほう)の鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)だ。西側には富山市街と日本海がキラキラと輝き、日本三霊山(にほんさんれいざん)の白山(はくさん)が鎮座する、白山連峰(はくさんれんぽう)が確認できた。天気は快晴で日差しが暖かく、心地よい風が吹く。これ以上無いコンディションで、前剱は居心地が良い。ところで、剱岳山頂へ向かう別山尾根ルートには避難小屋や水場、エスケープルートは用意されていない。この先「進む」かどうかは、天候判断や体調管理が重要だ。幸い天気には恵まれたので、小屋で頂いたお弁当を食べながら、しばらく休憩した。
前剱山頂はそのまま尾根づたいに登山道が続き、稜線の先には「本峰」の姿。先を急ぐ登山者も多く、通りをふさがないように手頃な岩に腰掛けて一息ついた。東側には剱澤雪渓(つるぎさわせっけい)が伸びていて、奥には後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)の山々が構える。中でもひときわ目立つのが、百名山の五竜岳(ごりゅうだけ)や双耳峰(そうじほう)の鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)だ。西側には富山市街と日本海がキラキラと輝き、日本三霊山(にほんさんれいざん)の白山(はくさん)が鎮座する、白山連峰(はくさんれんぽう)が確認できた。天気は快晴で日差しが暖かく、心地よい風が吹く。これ以上無いコンディションで、前剱は居心地が良い。ところで、剱岳山頂へ向かう別山尾根ルートには避難小屋や水場、エスケープルートは用意されていない。この先「進む」かどうかは、天候判断や体調管理が重要だ。幸い天気には恵まれたので、小屋で頂いたお弁当を食べながら、しばらく休憩した。







前剱を後にしてガレ場の降りを進むと、長さ4mのブリッジの先に、5番目の鎖場が待ち構えていた。垂れ下がる鎖は、道無き登山道と続き、登山者たちはひるむ事無くトラバースしていく。怖くないと言えばウソになるが、難しい技術や道具が必要な訳ではない。剱岳は「整備された登山道」なのだ。焦らず呼吸に合わせ一歩ずつ進む。6番目の鎖場で、登山道を降り切ると「前剱の門」と呼ばれる鞍部(あんぶ)についた。鞍部に着けば登りのザレ場が始まる。東大谷(ひがしおおたん)側(西側)の登山道は、山影に隠れていて、風が山肌を駆け抜けると一気に寒くなり、急いで上着を着込む。日差しと影の寒暖差が激しい。7番目の鎖場は「平蔵の頭(へいぞうのずこ)」と呼ばれる岩峰(いわみね)を、クサリで乗り越えて、またまたクサリで降て………。もうUPとDOWNを延々と繰り返していてなんだか気が遠くなる。気を抜いて油断すると、崖っぷちに吸い込まれそうだ。

前剱を後にしてガレ場の降りを進むと、長さ4mのブリッジの先に、5番目の鎖場が待ち構えていた。垂れ下がる鎖は、道無き登山道と続き、登山者たちはひるむ事無くトラバースしていく。怖くないと言えばウソになるが、難しい技術や道具が必要な訳ではない。剱岳は「整備された登山道」なのだ。焦らず呼吸に合わせ一歩ずつ進む。6番目の鎖場で、登山道を降り切ると「前剱の門」と呼ばれる鞍部(あんぶ)についた。鞍部に着けば登りのザレ場が始まる。東大谷(ひがしおおたん)側(西側)の登山道は、山影に隠れていて、風が山肌を駆け抜けると一気に寒くなり、急いで上着を着込む。日差しと影の寒暖差が激しい。7番目の鎖場は「平蔵の頭(へいぞうのずこ)」と呼ばれる岩峰(いわみね)を、クサリで乗り越えて、またまたクサリで降て………。もうUPとDOWNを延々と繰り返していてなんだか気が遠くなる。気を抜いて油断すると、崖っぷちに吸い込まれそうだ。




見晴らしの良いせり出した岩場に降り立つと、本峰に取り付く為の足元が、ようやく姿を現した。9番目の鎖場は、高さ30mの岩場に整備された「カニのたてばい」と呼ばれる剱岳の核心部だ。8番目の鎖場「平蔵の谷(へいぞうのたん)」をクサリで登ると、崖と隣り合わせの細い登山道を進み、カニのたてばいに挑む、登山者達の列に並ぶ。絶叫マシンの順番を待つような、お腹がウズウズする感覚を思い出した。次々とカニのように岩場をよじ登る登山者たちの姿を見て、手足の使い方や動きを予習する。お手本を見ているから、躊躇(ちゅうちょ)なく鎖場を踏破できる。剱岳は、気づかないうちに自然と協力しあい登っているのだと気づいた。カニのたてばいを攻略して、登山道を見上げると岩場の先は青い空だ。向こう側が山頂だと信じて登る。ついに本峰の剱岳山頂に辿り着いた。

見晴らしの良いせり出した岩場に降り立つと、本峰に取り付く為の足元が、ようやく姿を現した。9番目の鎖場は、高さ30mの岩場に整備された「カニのたてばい」と呼ばれる剱岳の核心部だ。8番目の鎖場「平蔵の谷(へいぞうのたん)」をクサリで登ると、崖と隣り合わせの細い登山道を進み、カニのたてばいに挑む、登山者達の列に並ぶ。絶叫マシンの順番を待つような、お腹がウズウズする感覚を思い出した。次々とカニのように岩場をよじ登る登山者たちの姿を見て、手足の使い方や動きを予習する。お手本を見ているから、躊躇(ちゅうちょ)なく鎖場を踏破できる。剱岳は、気づかないうちに自然と協力しあい登っているのだと気づいた。カニのたてばいを攻略して、登山道を見上げると岩場の先は青い空だ。向こう側が山頂だと信じて登る。ついに本峰の剱岳山頂に辿り着いた。






剱岳山頂は、やはりゴツゴツとした岩の集合体で、標高2999mの最高地点にはガレ岩を積み上げ、護(まも)られるように小さな祠(ほこら)が建っている。祠は2014年に落雷の被害に伴い、建て替えられたものだ。ザックを降ろし腰掛けると、安心して少しずつ緊張がほぐれ、ホッと一息つく。バーナーに水をいれて、フツフツとコーヒーの湯が沸く間、遮るものは何もない、360度の景色を眺めていた。正面に見える剱澤のカールは窪んでいて黄緑色。それを見守るように「立山」が緑色に取り囲み、奥へ連なる北アルプスの山々は、深緑から空の青へと変化する。立山連峰の大パノラマだ。剱岳と初対面した場所の剱澤小屋は、遠く小さく見守るように佇んでいて「剱岳に登ったのだ」と実感が湧いた。
剱岳山頂は、やはりゴツゴツとした岩の集合体で、標高2999mの最高地点にはガレ岩を積み上げ、護(まも)られるように小さな祠(ほこら)が建っている。祠は2014年に落雷の被害に伴い、建て替えられたものだ。ザックを降ろし腰掛けると、安心して少しずつ緊張がほぐれ、ホッと一息つく。バーナーに水をいれて、フツフツとコーヒーの湯が沸く間、遮るものは何もない、360度の景色を眺めていた。正面に見える剱澤のカールは窪んでいて黄緑色。それを見守るように「立山」が緑色に取り囲み、奥へ連なる北アルプスの山々は、深緑から空の青へと変化する。立山連峰の大パノラマだ。剱岳と初対面した場所の剱澤小屋は、遠く小さく見守るように佇んでいて「剱岳に登ったのだ」と実感が湧いた。





山頂では1時間ほど休憩した。何時までも景色を眺めていたかったが、下りは事故を招きやすい。時間に余裕を持って下山する事にした。ガレ場を降り、岩の裂け目を慎重に進むと10番目の鎖場が現れる。その名も、「たてばい」ならぬ「カニのよこばい」である。別山尾根ルートは来た道をそのまま戻るピストンコースであるが故に、登山者同士の交差が無いよう、登りルートと降りルートで複雑に鎖場が分かれる仕組みになっている。※カニのよこばいの混雑に配慮して、昭和30年代に「カニのたてばい」は増設されたものだ。クサリを握り、崖に背を向けたまま、足元をさぐる。たてばいとは違う、手に汗握る高度感に緊張が走る。踏み外せば崖に真っ逆さまだ。

山頂では1時間ほど休憩した。何時までも景色を眺めていたかったが、下りは事故を招きやすい。時間に余裕を持って下山する事にした。ガレ場を降り、岩の裂け目を慎重に進むと10番目の鎖場が現れる。その名も、「たてばい」ならぬ「カニのよこばい」である。別山尾根ルートは来た道をそのまま戻るピストンコースであるが故に、登山者同士の交差が無いよう、登りルートと降りルートで複雑に鎖場が分かれる仕組みになっている。※カニのよこばいの混雑に配慮して、昭和30年代に「カニのたてばい」は増設されたものだ。クサリを握り、崖に背を向けたまま、足元をさぐる。たてばいとは違う、手に汗握る高度感に緊張が走る。踏み外せば崖に真っ逆さまだ。




「かにのよこばい」を過ぎて前剱方面に目をやると、続く尾根が雲に覆われて、剱岳は登りの時とは一味違う「凛々しい」姿を見せてくれた。まだまだ気の抜けないアップダウンが待っている。ステンレスのハシゴを降って、11番目の鎖場「平蔵の谷」・12番目の鎖場「平蔵の頭」を進んでゆく。時間は昼過ぎ。この辺りからは山頂へと向かう登山者の姿は見当たらなくなり、だいぶ周囲の雲も上空へ上がってきた。13番目の鎖場「前剱の門」を進み、別山尾根ルートに整備された全ての鎖場を制した。前剱、一服剱を降ると、午後15時ごろ、ついに剣山荘の屋根が見えた。「無事帰ってきたのだ」と安心すると、堤防が決壊したように嬉しさと疲れがドッと押し寄せて、スリル満天の剱岳踏破に大満足の1日だった。

「かにのよこばい」を過ぎて前剱方面に目をやると、続く尾根が雲に覆われて、剱岳は登りの時とは一味違う「凛々しい」姿を見せてくれた。まだまだ気の抜けないアップダウンが待っている。ステンレスのハシゴを降って、11番目の鎖場「平蔵の谷」・12番目の鎖場「平蔵の頭」を進んでゆく。時間は昼過ぎ。この辺りからは山頂へと向かう登山者の姿は見当たらなくなり、だいぶ周囲の雲も上空へ上がってきた。13番目の鎖場「前剱の門」を進み、別山尾根ルートに整備された全ての鎖場を制した。前剱、一服剱を降ると、午後15時ごろ、ついに剣山荘の屋根が見えた。「無事帰ってきたのだ」と安心すると、堤防が決壊したように嬉しさと疲れがドッと押し寄せて、スリル満天の剱岳踏破に大満足の1日だった。






剣山荘は160人を収容できる剱岳にもっとも近い山荘で、剱岳を訪れる登山者たちのベースキャンプとして中心的存在だ。剱澤小屋と同じく、ありがたいことにシャワーが完備されている。山岳環境での貴重な資源に配慮して節水を心掛け、石鹸の使用は控える。シャワーを浴びて落ち着いた後、剱岳踏破を祝いビールで乾杯した。身に染みる美味さだった。夕食後は外の広場から、夕焼けに染まる立山連峰の雲を眺めていた。明日が「最終日」かと思うと、なんとも名残惜しい眺めである。しばらくすると辺りは暗くなって、今度は剱澤の静けさが味わえた。今夜はぐっすり眠れるような気がして、山荘に戻ると蚕棚(かいこだな)に潜り込んだ。

剣山荘は160人を収容できる剱岳にもっとも近い山荘で、剱岳を訪れる登山者たちのベースキャンプとして中心的存在だ。剱澤小屋と同じく、ありがたいことにシャワーが完備されている。山岳環境での貴重な資源に配慮して節水を心掛け、石鹸の使用は控える。シャワーを浴びて落ち着いた後、剱岳踏破を祝いビールで乾杯した。身に染みる美味さだった。夕食後は外の広場から、夕焼けに染まる立山連峰の雲を眺めていた。明日が「最終日」かと思うと、なんとも名残惜しい眺めである。しばらくすると辺りは暗くなって、今度は剱澤の静けさが味わえた。今夜はぐっすり眠れるような気がして、山荘に戻ると蚕棚(かいこだな)に潜り込んだ。






3rd day
3日目の行程
剣山荘→別山→真砂岳→立山(富士ノ折立・大汝山・雄山)→室堂平
室堂ターミナル→アルペンルート→富山駅→東京駅


こういう時、中々寝付けないのは何故だろうか。疲れているはずなのに昨夜は寝つきが悪く、体がダルい。支度を済ませ山荘を出ると、朝焼けに出会えた。時間は午前6時頃。これから「日本三霊山」の立山へ向かう。立山という単体の山は無く、3つの山【富士ノ折立(ふじのおりたて)2999m、大汝山(おおなんじやま)3015m、雄山(おやま)3003m】の総称である。剱澤から立山を形成する3つのピークを繋ぐ稜線まで、約500mの標高差を一気に詰める行程だ。稜線歩きの最後は、雄山山頂にある雄山神社(おやまじんじゃ)で参拝し、一ノ越(いちのこし)を通過して、室堂へ下山する。お世話になった剱澤を後に、朝のせわしいキャンプ場を通過した辺りで、登山道は霧に包まれ雲行きが怪しくなる。剱岳を見納めようと振り返ると、本峰は雲で遮られてしまった。天気予報を確認すると「早朝の崩れた天気は日中にかけて回復する見込み」との事だった。このまま室堂に下山することもできたが、信じて立山へ向かう。

こういう時、中々寝付けないのは何故だろうか。疲れているはずなのに昨夜は寝つきが悪く、体がダルい。支度を済ませ山荘を出ると、朝焼けに出会えた。時間は午前6時頃。これから「日本三霊山」の立山へ向かう。立山という単体の山は無く、3つの山【富士ノ折立(ふじのおりたて)2999m、大汝山(おおなんじやま)3015m、雄山(おやま)3003m】の総称である。剱澤から立山を形成する3つのピークを繋ぐ稜線まで、約500mの標高差を一気に詰める行程だ。稜線歩きの最後は、雄山山頂にある雄山神社(おやまじんじゃ)で参拝し、一ノ越(いちのこし)を通過して、室堂へ下山する。お世話になった剱澤を後に、朝のせわしいキャンプ場を通過した辺りで、登山道は霧に包まれ雲行きが怪しくなる。剱岳を見納めようと振り返ると、本峰は雲で遮られてしまった。天気予報を確認すると「早朝の崩れた天気は日中にかけて回復する見込み」との事だった。このまま室堂に下山することもできたが、信じて立山へ向かう。



急な登山道は右へ左へと巻きながら上昇していく。それにしても、昨日の疲れが足に溜まり一歩踏み出すのがつらい。すぐに息が荒れる。ザックが重い。別山との分岐を右に進むと、真砂岳へと尾根状の登山道が続く。真砂岳のピークまでは100mほどダウン・アップと進み、コルを通過する。登山道は視界が悪く、天気は回復の兆しは見られない。足元に注意して進む。真砂岳を通過して、山頂となる富士ノ折立までは、ケルンが印象的なガレ場を登る。黒部側(西側)にはうっすら倉蔵助カールの雪が見えた。倉蔵助カールの地中深くには、2018年に認定された日本では数少ない「氷河」が現存する。

急な登山道は右へ左へと巻きながら上昇していく。それにしても、昨日の疲れが足に溜まり一歩踏み出すのがつらい。すぐに息が荒れる。ザックが重い。別山との分岐を右に進むと、真砂岳へと尾根状の登山道が続く。真砂岳のピークまでは100mほどダウン・アップと進み、コルを通過する。登山道は視界が悪く、天気は回復の兆しは見られない。足元に注意して進む。真砂岳を通過して、山頂となる富士ノ折立までは、ケルンが印象的なガレ場を登る。黒部側(西側)にはうっすら倉蔵助カールの雪が見えた。倉蔵助カールの地中深くには、2018年に認定された日本では数少ない「氷河」が現存する。






前方から60代くらいの女性が道を尋ねてきた。私が「剱澤から来た」と話すと、昨日の剱岳の様子を嬉しそうに聞いていた。これから念願の剱岳の姿を観に行くそうなのだが、あいにくの天気だ。「こればかりはしょうがない」とお互いの健闘を願い、その女性が別山方面へ進んで行く後姿を見送った。ガレ場の登りを進み、それから富士ノ折立まで9号目の辺りで、風と共に霧が晴れ、登山者達が声を上げた。天気が回復したのだ。ほんの10秒ほどの出来事だった。
前方から60代くらいの女性が道を尋ねてきた。私が「剱澤から来た」と話すと、昨日の剱岳の様子を嬉しそうに聞いていた。これから念願の剱岳の姿を観に行くそうなのだが、あいにくの天気だ。「こればかりはしょうがない」とお互いの健闘を願い、その女性が別山方面へ進んで行く後姿を見送った。ガレ場の登りを進み、それから富士ノ折立まで9号目の辺りで、風と共に霧が晴れ、登山者達が声を上げた。天気が回復したのだ。ほんの10秒ほどの出来事だった。
富士ノ折立の稜線に辿り着くと、これまで見えなかった立山の展望が確認できた。黒部側(西側)は崖状の急な岸壁と深い森。室堂側(東側)は山崎カールと室堂平が眼下に見え、幅広の尾根は大汝山・雄山へと続く。お弁当を食べて小休憩した後、稜線を進んだ。昨日の剱岳とは違い、危険な場所は無い。登山道は雲が自由に空を飛び、行ったり来たりを繰り返す。気持ちの良い天空の稜線歩きだ。剱・立山連峰にそびえ立ち、隣り合う「剱岳」と「立山」。かつて立山信仰により、極楽浄土と地獄に例えられた両雄は、その名の通りそれぞれ違う特徴を持つ対照的な登山道だった。雄山神社に立ち寄った後、急な降りが続いて、一ノ越山荘についた。ここで登山道は終わり、整備された石畳の道に切り替わる。室堂に着く頃には結局天気は崩れてしまい、霧の室堂平を後に、アルペンルートで帰路に着いた。

富士ノ折立の稜線に辿り着くと、これまで見えなかった立山の展望が確認できた。黒部側(西側)は崖状の急な岸壁と深い森。室堂側(東側)は山崎カールと室堂平が眼下に見え、幅広の尾根は大汝山・雄山へと続く。お弁当を食べて小休憩した後、稜線を進んだ。昨日の剱岳とは違い、危険な場所は無い。登山道は雲が自由に空を飛び、行ったり来たりを繰り返す。気持ちの良い天空の稜線歩きだ。剱・立山連峰にそびえ立ち、隣り合う「剱岳」と「立山」。かつて立山信仰により、極楽浄土と地獄に例えられた両雄は、その名の通りそれぞれ違う特徴を持つ対照的な登山道だった。雄山神社に立ち寄った後、急な降りが続いて、一ノ越山荘についた。ここで登山道は終わり、整備された石畳の道に切り替わる。室堂に着く頃には結局天気は崩れてしまい、霧の室堂平を後に、アルペンルートで帰路に着いた。







EPILOGUE
旅が終わって3週間後、10月の第1週目である10/5に、剱澤小屋では初雪を観測した。続けて2日後の10/7には25センチの降雪があったそうだ。残暑による季節のずれ込みによって、暖かく日差しが心地よかった剱岳だが、結局山荘は例年通り冬季休業に突入し、一般の登山者が立ち入る事の難しい冬の山に変わってしまった。「雪と岩の殿堂」と呼ばれるほど、雪の剱岳はまた別格なのだと思う。今回の旅でラスボス(剱岳)を倒してしまった。何事も終わってしまうのはいつも寂しく、また目標が無くなるのは良くない。ここで「冬の剱岳」を新しい目標として、設定してはどうか。もちろん厳冬期の剱岳登山を実行する勇気も機会も無いが、超えることの無い象徴的な目標として、剱岳に付箋を残したい【※ちなみに2024年現在、12月1日から翌年5月15日までの間、剱岳一帯は「富山県登山届出条例」により20日前までに登山届の提出が義務化され、より入念な登山計画を求められるそうだ】もちろんこれからも旅は続けたいし、目標に向かって登りたい。厳冬期の剱岳山頂から望む立山連峰は、一体どんな景色なのだろう。調べれば調べるほど、想像が膨らんで悶々とした。
旅が終わって3週間後、10月の第1週目である10/5に、剱澤小屋では初雪を観測した。続けて2日後の10/7には25センチの降雪があったそうだ。残暑による季節のずれ込みによって、暖かく日差しが心地よかった剱岳だが、結局山荘は例年通り冬季休業に突入し、一般の登山者が立ち入る事の難しい冬の山に変わってしまった。「雪と岩の殿堂」と呼ばれるほど、雪の剱岳はまた別格なのだと思う。今回の旅でラスボス(剱岳)を倒してしまった。何事も終わってしまうのはいつも寂しく、また目標が無くなるのは良くない。ここで「冬の剱岳」を新しい目標として、設定してはどうか。もちろん厳冬期の剱岳登山を実行する勇気も機会も無いが、超えることの無い象徴的な目標として、剱岳に付箋を残したい【※ちなみに2024年現在12月1日から翌年5月15日までの間、剱岳一帯は「富山県登山届出条例」により20日前までに登山届の提出が義務化され、より入念な登山計画を求められるそうだ】もちろんこれからも旅は続けたいし、目標に向かって登りたい。厳冬期の剱岳山頂から望む立山連峰は、一体どんな景色なのだろう。調べれば調べるほど、想像が膨らんで悶々とした。
