丹沢主脈縦走
2017年 4月

丹沢山 登山の記録。丹沢山(たんざわやま)は神奈川県、丹沢大山国定公園内にある日本百名山の一つ。標高は1567mで、丹沢山を含めた周囲の巨大な山塊は丹沢山地を形成している。丹沢山の他、蛭ヶ岳(1673m)、塔ノ岳(1491m)、檜洞丸(1600m)、大室山(1587m)、鍋割山(1272m)、大山(1251m)など丹沢には魅力溢れる山々が揃っている。特に大山は丹沢の中でも1、2を争うほどの人気の山で、山頂にある大山阿夫利神社の本殿までの登山道はケーブルカーも整備されていて、石畳みの表参道は初心者も歩きやすく手軽に登山を楽しめる。

また、丹沢主脈である塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳を稜線づたいに縦走する中級ルート、西丹沢から、丹沢山塊の核心部を貫く上級者ルートもあるが、整備された登山道に加えて山荘も多く、エスケープが可能な事から比較的挑戦しやすいルートともいえる。初心者から上級者まで楽しめる丹沢山地は、関東近辺からのアクセスのしやすさも相まって、毎年多くの登山者で賑わう、皆に愛される山である。今回は、丹沢主脈縦走の登山録を記した。
丹沢主脈縦走

京王相模原線で橋本駅へ向かう。避難小屋泊用の荷物を詰め込んだ大型ザックはパンパンだ。車内で注目を浴びているようで、得意気な気分になる。土曜日、お昼前の京王線は空いていて、大型ザックがほかの利用者の迷惑にならず助かった。橋本駅に到着すると、いつもの2人と合流。彼らのザックもパンパンに膨れ上がっていて、お互い笑いあった。これから丹沢山へ行く。
橋本駅から焼山登山口までは路線バスを乗り継ぐ。神奈川中央交通バスを使い橋本駅北口からミヶ木バス停まで約30分、そこから焼山登山口バス停まで約30分。計60分の移動を経て焼山登山口バス停に到着。調べると丹沢山は都内から1番アプローチしやすい百名山だそうだ。焼山登山口バス停のそばには、高い並木の奥に小さな神社が建っていて、地図には「諏訪神社」と書いてある。バス停から住宅街を200mほど歩くと焼山登山口の看板がヒョコッと現れる。登山靴に履き変えた。今日はあいにく午後から雨の予報だが、登山口から黍殻山(きびがらやま)避難小屋までは約3時間20分の予定。天気が崩れる前には到着したい。

登山口からは林道が続いた後、水浴所橋(みずあびどばし)を渡る。隣接する駐車場はガラガラで寂しい。山道に入る。ストックを取り出し、土の山道を登っていく。4月の初旬、曇りであるため、少し肌寒いが上着を着て登ると身体が温まってきて丁度よい具合だ。焼山登山口は標高300m、通過点の焼山は標高1060m、約800mの標高差を3キロかけて上がる。1時間ほど登ったあと、少し開けた場所があったので小休憩する。樹林帯の急坂が続き、それから1時間後、焼山山頂に着いた。

山頂は木立に囲まれているが、物見やぐらのような鉄骨造の立派な展望台がある。登ればいい景色が望めそうだ。とその時、雨が降ってきた。木陰に隠れて大型ザックからカッパを取り出し、慌てて着込む。急に寒くなると不安な気持ちになる。ここから黍殻山避難小屋までは約1時間半ほど。「とにかく先を急ごう」という事になり、展望台には上がらなかった。しばらくして雨はやみ、黍殻山山頂についた。雨量計が設置された山頂は先程の焼山と同じく樹林に囲まれて特に展望はない。だいぶ日も暮れてきたので黍殻山避難小屋へ急ぐ。10分ほど下った所で大きく開けた、キャンプ場のような場所にでた。黍殻山避難小屋についたのだ。ほっと一息つく。

小屋は2014年に建て替えを行なっていてまだ比較的新しい。プレハブの平屋建て、アルミサッシの窓が3箇所あり外観は小屋と言うより現場事務所に近い。内装だけは板張りしていて、土間床にはテーブルが置いてあり、1段上がって就寝スペース。外のトイレは男女共用。我々が1番乗りで、今日登山道を登って来た時は誰ともすれ違わなかった。行程を考えても、これから下りで利用する宿泊者はいないだろう。小屋を広く使える分には良さそうだ。早速、新品のシェラフとシェラフマットを取り出して、寝心地を確かめた。

初の登山は高尾山・陣馬山。それから乾徳山の鎖場や戸隠山の蟻の戸渡を登って、登山が好きになった。ある日、「5月の連休は屋久杉を見に行ってみよう。縄文杉は特にすごいらしい」と縄文杉までのトレッキングが決まった。だが、屋久島を調べているうちに「どうやら屋久島には宮之浦岳という九州地方最高峰の山があり、しかもその山は日本百名山と呼ばれるくくりの1つだそうだ。宮之浦岳から縄文杉までは縦走する事ができるという。せっかくなので楽しめる所まで行こう」という訳で、2泊3日で宮之浦岳縦走登山が決まってしまった。決まったのは良いが、経験値が少な過ぎる。今回はその予行練習として丹沢山を選び、「避難小屋泊」と「縦走」にきたのだ。

初の避難小屋泊に張り切って色々買い込んでしまった。ザックがパンパンなわけだ。誰もいない避難小屋での宴会にワクワクしてきた。ビールで乾杯すると、それぞれ食料を並べて、つまみながら明日の行程を話し、相談していた。登山者が入ってきた。40〜50代の女性。1人のようで「こんばんは」と一言あいさつをかわすと部屋の隅に陣取った。(以後、会話をする事もなく早朝、我々よりも先に出発されたようである。)窓から外を覗くと真っ暗で何も見えない。ロウソクをたて、ウイスキーのお湯割を飲むとすっかり体が温まった。用を足しにトイレへ行くと夜空を見上げても星は見えず、うっすら曇っていて明日の登山に影響がないか心配になった。酔いが回ってきたので、明日に備えてシェラフに入り、目をつぶるが中々寝付けない。もう何時間経ったのか。それともまだ30分程度なのか。それより、明日の登山は大丈夫だろうか。と余計なことばかり考えてしまう。そうこうしているうちに、感覚がだんだんマヒしてきて、寝ているようで意識はある、不安と興奮の寝付けない夜だった。かすかに外からザーッと聞こえたような気がした。

スマートフォンのアラームがなり慌てて起きた。ウイスキーの飲み過ぎで具合が悪く、寝不足でフラフラする。窓を見る限り、天気は良さそうだが、昨夜の雨音は2人も聞いていて、やっぱり夜中雨が降っていたのだと思う。登山道が荒れていないか心配になる。それにしても、寒い。急いで身支度を整え、朝のコーヒーを啜る。これから登りと降りを繰り返しながら、蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳の3山を経て、神奈川県秦野市の大倉登山口バス停まで約9時間かけて「縦走」する。

避難小屋を出て、登山道を行く。登り始めは体が慣れるまでは辛い。登りのCP(チェックポイント)である「姫次」までは50分ほど、約200m上昇する事になる。登りに体が慣れて来た頃、姫路に着いたら目の前に雪景色が現れてビックリした。昨夜雨が降って標高の高い所では雪になったようだ。


木の葉に積もる雪は朝日に照らされ、雨のようにポタポタ降ってくる。姫路までせっかく登ったのにすぐ降る。カラマツの樹林を通ると下りのCP「地蔵平」までついた。ついたのはいいがここからまた約300m以上を上昇して蛭ヶ岳に進むのである。やれやれだ。日陰のせいで雪が積もっている場所もあって歩きづらい。蛭ヶ岳まで「あと1.2キロ」のカンバンを通過した辺りで、連続する木製の階段が現れた。この階段がキツくて、雪で滑らないように慎重に「5段上がって一息」を繰り返しながら登った。重たいザックを背負いながら階段を登ると汗びっしょりだ。このシツコイ階段は結局山頂まで続いていて、蛭ヶ岳(1673m)に到着した。

山頂は石がゴロゴロ転がっていて、木材で仕切りを入れて歩道を整備している。歩道の先は蛭ヶ岳山荘につながっていた。山頂というよりは、登山道の途中にある休憩所みたいな、変な例えだが、なんというか時代劇にでてくる関所みたいなイメージだ。休憩用ベンチには3㎝ぐらいの雪が積もっていて、払って腰掛けた。富士山が良く見えるはずだが、ガス掛かっていて眺望はほとんど無い。朝飯を兼ねて、蛭ヶ岳山荘で休憩する事にした。休憩代を払い、山荘に入ると暖かくて心地よい。早朝なので登山者の姿はなく、テーブルを我々で占領して、カップラーメンを朝食にコーヒーを飲んだ。昨夜のウイスキー水割りで飲み水を消費し過ぎてしまったので、ミネラルウォーターを購入して、先に進む。

次の丹沢山は到着するまで、尾根のアップダウンを3ヶ所繰り返しながら進むのだが、登る前からすでに、降る事がわかっているのでどうしても登りに力が入らない。情けないがだんだんヘバってきた。これが「縦走」かぁ。と遠くに続く尾根を、試しに目で追って登り降りしていくと、長く続くので気が滅入る。こういう時は仲間の後ろ姿を見ながら食らいついていくのが1番集中できる。目の前で奮闘している姿を見ると、「行かなきゃ」と思う。蛭ヶ岳からCPの中ノ沢乗越まで降り、それからゴツゴツした岩の鎖場を登った。鎖場と言っても危険な箇所はない。CP「鬼ガ岩」が現れた。「鬼の耳」のような2mぐらいの大きな岩が2つあり、その間をまたぐように登山道は続く。この辺りは尾根が巨大な山塊として奥まで続いていて展望も良い。百名山の名付け親である「深田久弥」は山単体としての「丹沢山」ではなく、広く大きく続く丹沢山地全体としての丹沢山を百名山として選定した。丹沢主峰で1番高い蛭ヶ岳を差し置いて、丹沢山を選んだのだ。深田久弥も縦走でこの辺りが1番辛くてヘバってしまい、印象に残ったに違いない。なんて勝手な妄想してると、CPである不動ノ峰に着いた。不動ノ峰には、あずま屋があり、先に行けば水場があると地図に載っているが、さっき飲み水を山荘で買ってしまったので、先に進む。降りのCP「早戸川乗越」に下る途中、この先の登山道が丹沢山山頂へつながっているのが確認できた。「早戸川乗越」は標高1450m、丹沢山頂は、1567m。登りきって丹沢山に到着した。


丹沢山山頂は昨晩の雨か、積もっていた雪が溶けたせいか泥でベチョベチョだ。蛭ヶ岳は、ベンチにつもる雪を払えたが、丹沢山は払えない。シェラフマットを広げてベンチに腰を下ろした。これから縦走して蛭ヶ岳に向かう人、山頂に満足して大倉に引き返す人、別ルートに行く人。泥だらけの登山靴でごった返していた。さらに小雨も降ってくる始末で、周りを見渡しても視界は悪い。止まってしまうと身体が冷える。早く出発したい衝動を抑え、後の行程を確認した。塔ノ岳までは約1時間半、標高差は80mほど。まだアップダウンはあるものの、稜線を縦走してきて確実に、ゴールの大倉に向かって標高は下がり、地上へ近づいているのが確認できて嬉しかった。塔ノ岳へ進む事にした。

丹沢山を出発した頃、すぐに雨は止んだ。20分後、笹が広がるひらけた場所、CPの「竜ガ馬場」が現れた。ここから次のCPの日高までは小さな稜線でもアップダウンを繰り返すのは骨が折れる。下山後、「縦走」を辞書で調べてみると「いくつもの山を次々と稜線伝いに続けて歩くこと。山々を結ぶ主稜線上の登山道を縦走路と呼ぶ」と書いてあった。「縦走路」を踏破するにはひとつの山頂を目指す「ピークハント」と比べてより体力が必要である事を知った。さらに降り、ブナの自然林を通過して、また登る。気が付くと周りには雪は無くなっていて、塔ノ岳(1491m)に到着した。


塔ノ岳は大勢の登山者で溢れていて、食事をしたり、写真を撮ったり、談笑したり賑やかだ。蛭ヶ岳、丹沢山と違い、地面も乾いていて、座りやすい。山頂に構える尊仏山荘には立ち寄らなかった。曇り空で景色が良いとは言えないが、秦野市の街並みを望むことができた。だいぶゴールに近づいているようで、ホッとした。縦走はこの「塔ノ岳」が最後で後は大倉まで降るのみである。我々もコーヒーを飲みながら休憩して、「最後の一踏ん張りだな」と話し合った。

「氷」の看板が立っていて、今回は4月の丹沢山に翻弄されっぱなしだ。天候が変われば、一気に気温が下がり、雪が降る事を体験した。避難小屋に泊まれば、防寒着や食料が増えるので、ザックはパンパンになり、肩に食い込みながら尾根を縦走するのだ。一ヶ月後に行く日本最南端の百名山、宮之浦岳は2000mにも及ぶ高さで、2泊3日の縦走はかなり辛いと思う。「何を大げさな」と言われてもしょうがないが、未開の地へ開拓に向かう冒険者にでもなった気分だ。そのつど、休憩や水の補給ができる山荘があるとは限らないし、屋久島は雨が降る日が多いため、雨が降り、もしかすると雪が舞えば、寒くて体力を消耗する。もちろん、挑戦するからには、踏破したい。今回の丹沢山登山では「避難小屋泊」「縦走」は大きな経験となった。宮之浦岳縦走へのイメージがなんとなく浮かんだ。
「大倉尾根」へ進む。塔ノ岳から、ゴールの大倉まではこれから1000m以上降る事になる。まだまだ先は長い。登ってくる登山者とあいさつを交わすと、笑顔だ。表情からここまで登りきった大変さや充実感が伝わるようで、私も「ここまで縦走してきたぞ」と言わんばかりの笑顔を相手に返した。

木道が続く。花立山荘、駒止茶屋と通り過ぎる。道は整備されていて歩きやすいが、とにかく長いのは丹沢山の特徴だ。続く階段を下り、見晴小屋が現れて、樹林帯を歩くと、見慣れたアスファルト舗装路に切り替わった。林道を経て、大倉バス停につくとバスを待つこともなくタクシーで、小田急小田原線東海大学前駅近くの「天然温泉さざんか」で汗を流した。そのあとは小田原線で帰路に着いた。帰りの電車では、皆疲れ切っていて、あまり会話は弾まなかった。