激闘 宮之浦岳 48時間
2017/05/03~06

宮之浦岳 登山の記録。宮之浦岳は鹿児島県の屋久島にある標高1936m、九州地方最高峰の山であり日本百名山に選出されている。樹齢数千年に及ぶ「屋久杉」を代表に貴重な手付かずの自然が残る屋久島は、当時白神山地と共に日本初の世界自然遺産に登録された。屋久島の近海を流れる黒潮から大量の水蒸気を受けた空気が山にぶつかると、空に雨雲が発生する事で世界的有数の多雨地帯となるのだ。雨の恵みを受けた緑豊かな山岳は他では見ることのできない力強い自然と登山道を楽しむことができる。


白谷雲水峡やヤクスギランドなど、ネイチャートレッキングとして初心者や子供から大人まで幅広く楽しめるコースや、各集落の麓から「歩道」と名づけられた登山道を出発し、本富岳や愛子岳を目指す日帰り登山がある。山荘こそ無いが、避難小屋を経由して山々を縦走する上級コースもあり、「百名山」の名付け親である「深田久弥」は冬季の雪が積もる宮之浦岳を堪能したそうだ。今回は九州最高峰の宮之浦岳縦走の登山録を記した。
宮之浦岳縦走
「屋久島に呼ばれたな」と相馬さんが言ってきたので「何事でしょうか」と尋ねた。「屋久島には呼ばれた者しか行けないんだ。行きたいと願っても、色々なことが重なって都合が悪くなる」との事。早速「屋久島、呼ばれた」とネット検索してみると、同じような内容の記事がたくさん出てきた。「屋久島の旅行計画は度重なる飛行機の不具合によりキャンセルとなった」「計画を立てたのだが、家族や、仕事の都合が悪くなり、中止にした」など、延期を余儀なくされた方々が多いようだ。中には、過去3回の屋久島旅行計画が天気やトラブルによって中止に合い、屋久島に行く事を諦めた記事もある。神秘的なイメージから出た迷信だろう。でも何か、胡散臭さよりも、島に選ばれるという不思議な感覚がロマンチックな気がした。今回の屋久島、宮之浦岳縦走計画が決まったのが3月。縄文杉までのトレッキングとして行程を考えていたのだが、屋久島を調べているうちに、九州の最高峰である、宮之浦岳の存在に気づいた。宮之浦岳から縄文杉までは縦走するコースがあると分かり、2泊3日の縦走路を登山する計画に変更した。日帰りの登山は経験もあるが、2泊3日の縦走は初挑戦である。経験値が足りないと、先月の4月に予行練習として丹沢山に1泊2日で縦走してきた。丹沢山での経験を元に、装備も見直した。準備万端である。

羽田空港から飛行機に乗り約2時間のフライトで鹿児島空港に到着。明日の朝、鹿児島港発のフェリーに乗り、屋久島へ向かうので、JR日豊本線に乗り換え最寄り駅である鹿児島中央駅まで約1時間半移動した。屋久島に辿り着くには空、陸、海と移動する。本日の宿は駅から徒歩1分のゲストハウス、その名も「リトルアジア」。共同室に2段ベッドがあるだけの設えだが、気楽で良い感じだ。ストックやガスボンベなど機内持ち込みができない荷物は先に郵送していて、最寄りの宅急便営業所で引き取り、買い出しを済ませて一息着いた。夜は、創業98年「湯豆腐ごん兵衛」にお邪魔した。鹿児島と言えばイモ焼酎。ごん兵衛名物の湯豆腐と合わせて、ちょっと早いがこれから挑戦する宮之浦岳踏破の前祝いをした。ごん兵衛ではイモ焼酎の「前割り」を初めて飲んだ。「前割り」というのは、焼酎を好みの濃度に予め割っておく飲み方で、鹿児島に今も続いている、伝統的な飲み方だ。焼酎と水を混ぜ合わせた後、一晩から数日間寝かせておくと、焼酎と水がなじんで作りたての水割りよりもまろやかになるという。「前割り」で前祝いなんて素敵じゃないか。ホロ酔いでリトルアジアに戻ると明日に備えて就寝した。

天気は快晴で気持ちの良い朝だ。早く船に乗りたくなった。今日は、鹿児島港からフェリーに乗り、屋久島の安房港に着いた後、淀川登山口から、淀川避難小屋まで行かなくてはならない。リトルアジアを後にして、タクシーで鹿児島港に移動した。鹿児島港に着くと桜島が堂々とした姿で海に浮かんでいた。港のベンチや駐車場に停めてある車は灰を被って汚れていて、桜島は現在も火山活動中である。屋久島行きのフェリーに乗り込む。乗船料は約5000円、乗船時間は4時間。フェリーの他、高速船があるが今日は時間に余裕があるので、節約も考えてフェリーにした。5月の連休だけに満席だ。早速、船内のお土産コーナーを物色する。屋久島を代表するイモ焼酎「三岳」があるじゃないか。ペットボトルスタイルは初めて見た。ビンよりも軽いので避難小屋泊用に数本購入した。時間はたっぷりあるので、各々水平線を眺めたり、船内に設けてあるテレビを観たりして過ごした。私は船酔いになってしまい、休憩室で寝込んだ。


屋久島には標高1800m以上の山が10座、1000m以上の山岳が46座あるそうだ。そのなかでも本富(モッチョム)岳、愛子岳、国割岳、安房前岳など、麓(ふもと)から見える山を「前岳」とし、宮之浦岳、永田岳、翁岳、黒味岳など、麓から見えない奥の山を「奥岳」と分けている。奥岳は山頂か、もしくは海上からしか姿を見ることが出来ない。日本では昔から、山岳信仰が各地で行われていて、屋久島も例外ではない。それぞれの集落に流れ込む川の上流に位置する山をそれぞれの御嶽(みたけ)とし、例えば宮之浦岳が宮之浦の御嶽であるように、山の名を集落の名としているそうだ。また、宮之浦岳・永田岳・黒味岳は「三岳」として、特に崇められ、毎年各集落により「岳参り」が行われ「五穀豊穣」・「無病息災」を祈る。今でも、多くの島人が「山は神の聖域」として大切にしているようだ。

屋久島を眺めようとデッキに上がるが、天気は崩れて、島の山頂部分には雲が覆い被さっている。かなり天気が悪そうだ。フェリーはそのまま屋久島の東側に位置する安房港に着いた。安房という集落も安房岳を御嶽としているのだろう。フェリーを降りると、先程まで雨が降っていたみたいで道路が濡れている。ここからはバスに乗り換えて淀川登山口まで移動するのだが、発着所にはバスがもう着いていて発車寸前だった。4時間の渡航から一息つく間も無く、船酔いのままバスへ駆け込んだ。車内はもちろん満席で大型ザックや格好から、ほぼ登山口へ向かう登山者のようだ。蛇行する道をウネウネと高度を上げてバスが進むと、さらに気分が悪くなる。バスの窓に水滴が伸びる。雨が降ってきた。出発から約50分、淀川バス停に着くと、ほぼ全員が下車、アスファルトにザックを広げてカッパを着だした。それぞれ準備できた登山者達は目的地の淀川避難小屋に向かう。これでは避難小屋もかなり混んでいると予想して、足取りも早くなる。目の前に巨木が現れた。地図には「淀川大杉」と書いてあるが、流れに任せて先に進む。1時間後、淀川避難小屋に到着した。

丸太組構法の避難小屋はコケがむしていて森に馴染むように建っていた。平屋だが内部は屋根裏空間を利用した2階建ての設え。妻側の三角屋根が張り出していて、休憩スペースと入り口を兼ねている。60人程度が宿泊可能な避難小屋と聞いていだが、やはり大混雑である。我々が乗ってきたバスよりも、先に着いた登山者が居て場所がなくなる寸前だった。シェラフ用マットを広げて、陣地をアピールすると、なんとか3人並んで寝床を確保できた。濡れたカッパは床組に吊り下げて一旦シェラフに入り落ち着く。それにしても、避難小屋は登山者で足の踏み場も無い。後から後から続々と登山者がやってくるが、中を見るなり避難小屋泊を諦めて戸を閉めていく。「代わってやる訳にもいかないしな…」と鈴木さんが呟いた。まさかインフラの無い避難小屋を取り合いになるとは想定外だった。暗闇の中、ヘッドライトを頼りにカップラーメンを啜る。明日、雨が止んでいることを期待して早めに就寝した。

眠れなくてとにかく目をつぶって過ごした。相変わらず雨は降っている。多少覚悟していたつもりだったが、いざこの先、何時間も雨に打たれて登山道を行くのは正直言って憂鬱である。実は屋久島に呼ばれてなかったのでは…と思った。登山を続けるなら、今日は宮之浦岳に登頂後、高塚避難小屋まで進まなくてはならない。夜明け前だが身支度を整え早めの朝食を食べながら行程について話し合った。GWの混雑を予想して、「今日泊まる避難小屋になるべく早く辿り着こう」という結論に至った。かくして夜が明ける前に誰よりも早く、淀川避難小屋を出発した。

ヘッドライトが照らす範囲は限られていて、視野が狭い。淀川橋を渡る。登山道は木の根だらけで、水たまりが多く、登山靴に施した防水スプレーが少しでも効いてくれると助かる。宮之浦岳山頂への分岐点である花之江河(はなのえごう)までは標高差300mで約2時間ほど。山道の勾配がキツくなってきた所で、鈴木さんのストックが折れてしまう。深い木の根に絡まったのだろうか。不吉だ。屋久島が「戻れ」と言っているのか。急な登りが続いた後、尾根上に辿り着いたようで傾斜も緩やかになる。夜が明けてきた。木々も背が低くなってきて、だいぶ登って来た気がする。「高盤岳展望台」からは視界が悪く、「トーフ岩」を望む事は出来なかった。それから急坂を降りて、整備された木道を歩くこと10分、「花之江河」に到着した。

花之江河は日本最南端にある高層湿原で珍しい高山植物や湿原を流れる清流を眺められる貴重な場所である。運が良いと、ヤクシカにも出逢えるそうだ。また各集落から始まる登山道(栗生・湯泊・尾之間・花之江河)の道筋が集中するターミナルにもなっている。ここから宮之浦岳山頂まで約2時間30分。間違えないよう登山道を地図でよく確認して先にすすむ。高盤岳を背に歩くこと20分、黒味岳分れを通り過ぎ、東斜面をトラバースしていく。お化けみたいな名もなき巨木が登山道に佇んでいた。小さな木々がグルグル絡み合っていて、とても奇妙な光景である。降り続く雨を吸い込みながら今この瞬間もグングン成長している気がして、「そんなはずは無い」と幹に触れてみる。もちろん鼓動は感じられない。北斜面に回りロープのかかる道をすすむ。岩盤の隙間はザックが詰まりそうなぐらい狭い。岩だらけの広場に着いた。投石平だ。天気が良ければいい休憩スペースになりそうだ。うっすら高い山が望めて多分投石岳のピークだと思う。テンションが上がってきた。木製の看板には宮之浦岳まであと「2.5キロ」と書いてある。距離ではもう3/2は過ぎたようだ。ロープを使いながら急斜面を登る。投石岳の西側を巻きながら進んでいく。やっと森林限界の世界に上がってきた。整備された木道に誘導されながら安房岳、翁岳の中腹をトラバースして進む。


しばらく登ると遠くに高くなったピークが見えて来た。あれが「宮之浦岳山頂」だろうか。カンバンには宮之浦岳まであと「1.4キロ」と書いてある。宮之浦岳は「双耳峰」である。左耳の高い方が山頂で間違いなさそうだ。分岐道に進むと、この区間最後のトイレブースがあり、山頂登頂前に立ち寄った。(屋久島全域で自然保護の為、携帯トイレを持参し、設置されたブースで利用が可能である)トイレブースは谷間から斜面に向かって設置されていて、雲へ続く入り口にも見える。左隣には石の門番。遊び心のある配置だ。登山道に戻り地図を確認した。山頂まであと50分ほど。ここまで来ると遮るものはく、ハイマツが広がり、屋久島特有の角の無い丸い岩が点々とする山肌がこんもりと山塊となって続く。「栗生岳」のカンバンを通り過ぎる。最後の急斜面は巻くように山頂まで続いていて足に堪えた。宮之浦岳山頂に到着した。

山頂には「宮之浦岳 1936m」と書かれた丸太のカンバンが立っていて、我々以外は誰もいない。時より強い風が吹き付けると、カッパの隙間をかいくぐり、体を冷やす。目の前にはギザギザした背びれのような永田岳。後ろには翁岳、安房岳、投石岳の稜線が続いていて、我ながら「雨の中良く来たな」と思った。ここから目的地である「高塚小屋」までは約4時間。花之江河からほぼノンストップで来たのでそろそろ休憩したい。雨を凌げる場所を求めて、早々に山頂を後にした。


宮之浦岳の北斜面を下る。永田岳との分岐点「焼野三叉路」を右に進むと、後ろには宮之浦岳、左手には永田岳や山々の稜線。屋久島の天上世界が広がる気持ちの良い登山道が続く。巨大な岩が登山道を阻む。「平石岩屋」だ。岩の下端に僅かだが雨を凌げる空間があって、休憩には丁度良い。早速ガスバーナーで湯を沸かし、コーヒーを飲むと暖かくて生き返る。カッパを着こんでいるとはいえ、汗と雨で体がずぶ濡れである。道中の自然は素晴らしいが、さすがにツラい。勢いでここまで来てしまったが、緊張が途切れると頭がボーッとして、弱音を吐きたくなる。一刻も早く避難小屋で落ち着きたい。

平石岩屋を後に進む。急坂を降ると徐々に森林限界の世界から森の世界へと変わって行く。またもや巨大な岩が現れた。ビャクシン岳(坊主岩)だ。ここから石の尾根を乗り越えた所から、さらに登山道は高度を下げていく。雨に打たれながらの長い道のりは寒さと疲労との戦いだった。新高塚小屋を過ぎ、目的地の高塚小屋に辿り着いた。


3階建の高塚小屋は縄文杉から1番近い避難小屋で収容人数は17名程度、10分歩くと水場がある。建築家「坂茂」氏の設計で、外壁材にはガラスコーティングした特殊な材料を挟み込んで、小屋内に自然光を取り込むよう工夫されている。早出作戦が功を奏し、我々が一番乗りだ。重たいザックを床に放り投げるといの一番に着替えてシェラフにくるまり暖をとった。今日のうちに縄文杉を拝むべく、疲れた体にムチを打つ。避難小屋から約20分、念願の縄文杉に出会う。周りは「囲い」が施されてあって一定距離以上近寄れないが、野太い幹が力強く空まで上がっている。圧倒的な存在感に只々見つめるばかりである。そして、何よりも雨に打たれながらも無事に事故なく、ここまで辿り着けて嬉しかった。


水場へ補給し、晩飯のカップラーメンに「飽きたな」とぶつくさ文句を言っていると、徐々に避難小屋へ登山者達がやって来た。その中で2人組の登山者と話を伺う機会があった。30代の夫婦で九州地方出身との事。登山が趣味で全国の山を登山していて、屋久島は今回が「2度目」。「またしても雨でした。」と語っていた。すでに縦走して3日目で、明日以降も違うルートを行くらしい。かなりの上級者だ。2人はテキパキと晩御飯の準備を始めると息の合った手順で「うどん」を茹で、わかめや具材を盛り込み食べている。あまりの手際の良さと、「うどん」が美味そうで見惚れてしまった。避難小屋唯一の楽しみである「三岳」には水場であらかじめ「前割り」に仕込んでおいた。「いよいよ明日が最後だな」と話し合い、三岳を飲み干すと明日に備えて就寝した。

天気は、島に来て以来の土砂降りである。「屋久島は一月に35日雨が降る」とはよく言ったものだ。外に出るのを躊躇いそうになる反面、心の中では「ここを乗り越えれば終わる。やっと帰れる」と前向きに構えた。最後のインスタントコーヒーを飲み、食料を消費したザックを背負うと軽く感じる。今日はこれから白谷雲水峡のバス停まで約6時間かけて下山し、高速船に乗り換え、鹿児島空港へ行かなくてはならない。背が高く深い森の登山道は木の根の水溜りが「洪水」を起こしていて登山靴に襲いかかるが、もう濡れたって構わない。縄文杉、夫婦杉、大王杉と屋久杉の「スター」達に別れを告げて、登山道を進む。大きな切り株が現れ立ち止まる。「ウィルソン株」だ。あづま屋ぐらいはあるだろうか。中に入って見上げると株の切り口はポッカリと穴が空いていて、空は夜明け寸前だった。

登山道は整備された木道に変わり、すれ違うことができないくらい細い階段が続く。滑らないように慎重に歩いた。徐々に雨の勢いが弱まってきてしばらく進むとトロッコ軌道に切り替わる。この辺りは森とどこまでも続く線路が合わさり、ノスタルジーな雰囲気が漂う。カーブの先が気になり、木の板と歩幅を合わせて足取りも早くなる。線路を歩くのがこれほど楽しいとは意外だった。

三代杉を通り過ぎてその後、楠川分かれを「白谷雲水峡」へ進む。順調に降ってきたが、辻峠までは登りに変わる。この登りは足も精神的にもキツかった。約1時間程で登り切り、少し歩くといつのまにか雨は止んでいた。辺りいちめんが苔に覆われた登山道に変わる。白谷雲水峡のトレイルコースについたようだ。倒木も何もかも苔に覆われた森は今回の縦走路のゴールに相応しい、素晴らしい森だ。カッパを脱いで最後の屋久島の自然を楽しんだ。


この後から登山者とすれ違うようになる。皆、縄文杉へ向かうのだろう。ガイドと団体の皆さんには「ゴールまで後少しですよ、お疲れ様。よく頑張りましたね」と言った具合に声をかけて頂いてとても嬉しかった。その際に、土砂降りの影響だろうか、雨で川がかなり増水していて近づかないよう注意喚起していた。雨に慣れているからこそ屋久島では増水氾濫は特に危険であり注意が必要である。(※今旅の翌年、2018年には記録的豪雨による土砂崩れで登山口に約262名が取り残され、県は陸上自衛隊に災害派遣要請を行った。)白谷雲水峡のバス停から乗車し約40分、バスは晴天の宮之浦港に着いた。あまりの天気の良さに呆気にとられる。潮風と日差しが心地よい。宮之浦岳山頂は晴れているのか気になったが、もう確かめる術は無い。先に説明した通り、「奥岳」は麓から眺める事ができないのだ。「楠川温泉」で久しぶりに身体を洗い流した後、御膳と共に、瓶ビールで乾杯して、旅の無事を祝った。高速船に乗船するとデッキに上がり、5月の爽やかな青空と屋久島を最後まで目に焼き付けた。
